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東京高等裁判所 昭和35年(ネ)67号 判決 1961年8月30日

三光信用金庫

事実

控訴人(一審原告敗訴)三光信用金庫は請求原因として、控訴人は昭和三十一年八月六日、訴外黒岩八十吉及び被控訴人吉永茂との間に継続的手形取引契約を締結し、黒岩は、その振出又は裏書にかかる約束手形により控訴人から貸付を受けたときは、右手形又は貸金債権の何れにより請求されても異議なく、且つ手形の支払期日以降元金百円について日歩六銭の割合による遅延損害金を附して支払うことを約し、被控訴人は黒岩の右債務について連帯保証することを約した。

そして控訴人は右の契約にもとずいて、黒岩に対し、同人振出の約束手形により金百六十万円を貸し付けたところ、右の約束手形は支払期日に支払われなかつた。そこで控訴人は黒岩に対し右の貸金債権を有するわけであるが、黒岩は昭和三十三年六月二十日現在において控訴人に対し積金その他六十七万円の債権を有していたので、これと対等額において相殺した結果、黒岩に対する残債権は元本九十三万円となつた。

よつて控訴人は黒岩の連帯保証人たる被控訴人に対し右の元本九十三万円及びこれに対する支払済まで、約定の日歩六銭の割合による遅延損害金の支払を求める、と述べ、さらに、被控訴人が前記継続的手形取引契約について連帯保証人となることを承諾しなかつたとしても、少なくとも被控訴人は、控訴人の黒岩に対する昭和三十一年八月六日附金八十万円の貸付については黒岩の連帯保証人となることを承諾し、同人に対し印鑑及び印鑑証明書を預け、黒岩は被控訴人の代理人として前記の手形取引契約を締結し被控訴人の署名捺印を代行して手形取引約定書を作成したものであるから、仮りに黒岩の行為がその代理権限を踰越していたとしても、被控訴人は黒岩に対して印鑑及び印鑑証明を預けたのであるから、控訴人には、黒岩にその代理権ありと信ずべき相当の理由がある、と主張して争つた。

被控訴人吉永茂は答弁として、被控訴人は昭和三十一年八月六日、かねて加入していた控訴金庫の定期積立につき書類作成の必要上印鑑証明書が必要だから実印を貸してほしいとの黒岩の申出により、何ら疑うことなく実印を右黒岩に手渡したのであるが、本件継続的手形取引契約につき被控訴人が連帯保証人となつているのは、右黒岩が被控訴人の実印を冒用してなしたものである。被控訴人としては、本件手形取引契約書を全然関知せず、又黒岩の控訴金庫に対する債務を連帯保証したこともなければ、連帯保証する意思さえ全くなかつたものであるから、被控訴人が右連帯保証人としての責任を負うべき理由は毛頭存しない、と主張して争つた。

理由

控訴人は、訴外黒岩八十吉が、昭和三十一年八月六日控訴人との間にその主張のような約旨の継続的手形取引契約を締結すると同時に被控訴人から与えられた代理権に基きその代理人として右契約上黒岩の負担すべき債務につき控訴人との間に連帯保証契約を締結したと主張するので、まずこの点について判断するのに、証拠を総合すれば、訴外黒岩八十吉は、昭和三十一年八月六日、自己の実印及び印鑑証明書とともに被控訴人の実印及び印鑑証明書を持参して控訴人信用金庫の事務所に赴き、本件手形取引約定書の借主欄に自己の住所氏名と通称名を併せ記載し、連帯保証人欄には被控訴人の住所各氏名を記入し、それぞれその名下に前記各実印を押捺して右約定書を作成し、各印鑑証明書とともにこれを控訴金庫に差し入れ、以て控訴人との間に控訴人主張のような約旨の継続的手形取引契約を締結し、且つ右契約から生ずる黒岩の債務に対する根保証としていわゆる署名代理の方式により被控訴人を代理して連帯保証契約を締結した事実を認めることができる。しかしながら、黒岩が右連帯保証契約締結の代理権を授与されていたという事実については、本件手形取引約定書(甲第一号証)中の被控訴人名下の印影は前記のように黒岩が被控訴人の実印を持参して押捺したものであり、また被控訴人の印鑑証明書(甲第二号証の二)も黒岩の手を経て控訴金庫に交付されたものであるけれども、このような事実は、当時どうして被控訴人の右実印及び印鑑証明書が黒岩の手中に在つたかについての後記認定の事実に徴すれば、黒岩が被控訴人から右保証契約締結の代理権を与えられていたことの証左となしえないことが明らかである。このように、右代理権授与の事実を認めることができない以上、黒岩が被控訴人の代理人として締結した右連帯保証契約は、本人たる被控訴人に対しその効力を生ずべき理由がない。

そこで、次に控訴人の表見代理に関する主張について判断するのに、右に認定した事実に証拠を総合すれば右黒岩は古物商を営む者であるところ、控訴金庫の定期積金に加入し三箇月間掛金を払い込むときは相当の担保を立てることにより契約給付金額の範囲内で同金庫から金銭の貸付を受けられるところから、昭和三十一年五月二十五日控訴金庫との間に一日金五千円掛の一箇年間の定期積金契約を締結したが、その際同業者である被控訴人並びに高井義春及び鈴木留三郎の三名に対しても夏場の金詰りにそなえて控訴金庫の定期積金に加入するよう勧誘した結果、右三名は、黒岩にその手続一切を委任し同人を代理人として、右同日契約給付金を金五万円とする一箇年間月掛の定期積金契約を控訴人との間に締結し爾来その掛金払込を続けてきたこと、そして黒岩は、右定期積金の掛金を始めてから約三箇月後の同年八月五日控訴金庫に対し金八十万円の借用を申し込みその内諾を得たので、永年懇意の間柄であり且つ黒岩が日掛の定期積金をしていることを知つている被控訴人に右借財の連帯保証人となつてもらうため、翌六日朝被控訴人をその自宅に訪ね、その旨の依頼をなし、且つ右借財保証に関する書類作成のため被控訴人の実印と印鑑証明書とが必要であるが、実印を貸して貰えれば便宜黒岩において被控訴人に代りその印鑑証明書の下付を受けてくる、後刻女中が黒岩の分の印鑑証明書の下付を受けるため区役所へ行くついでに被控訴人宅に立ち寄るから、その際実印を右女中に渡して貰いたいとのことをも併せ依頼し、被控訴人の了承を得たので、黒岩は女中伊藤則子をして区役所へ行く途中被控訴人宅に立ち寄らせたところ、被控訴人は自己の実印を同女に渡し、同女において区役所から黒岩及び被控訴人の各印鑑証明書の交付を受けた上、その預つた被控訴人の実印とともにこれを黒岩に手渡したこと、かくして黒岩は同日被控訴人の右実印と印鑑証明書とを控訴金庫に持参し、これを使用して被控訴人の代理人として前記手形取引約定書の連帯保証人欄に被控訴人の記名押印をなし、前記継続的手形取引契約から生ずる黒岩の控訴人に対する債務につき連帯して根保証をなす旨の連帯保証契約を締結したこと等の事実を認定することができる。被控訴人は、その原審及び当審における本人尋問において、被控訴人が前記八月六日その実印を黒岩の女中に預けたのは、その前日八月五日黒岩から被控訴人の分として金五万円控訴金庫から貸付を受けられることとなつたが、その借入についての書類作成のため被控訴人の印鑑証明書が必要である、自分の方も別に印鑑証明の下付を受けることになつているので、そのついでに被控訴人の印鑑証明を取つてきてやるから実印を渡すようにということであつたので、単に右印鑑証明書の下付を受けるためにのみこれを預けただけであり、そしてその実印は即日返還を受けた旨供述しているけれども、右供述部分は他の各証拠に照してたやすく措信できない。

以上に認定した事実によれば、被控訴人は、黒岩が控訴金庫から前示金八十万円の貸付を受けるにつきその連帯保証人となることを承諾した上、黒岩が被控訴人の実印と印鑑証明書とを使用し、いわゆる署名代理の方式により右貸借証書に連帯保証人として被控訴人の記名捺印をなし、該消費貸借契約上の黒岩の金八十万円の特定債務のため保証契約を控訴人との間に締結すべき権限を同人に授与したところ、黒岩が被控訴人の代理人として現実に控訴人との間に締結した連帯保証契約は、すでに認定したように継続的手形取引契約に基き黒岩が控訴人に対し将来負担すべき一切の債務に対する根保証であつて、その保証債務の範囲は右金八十万円の債務に限られるものでなく、弁済等によつて一旦これが消滅しても、さらに貸付がなされたときはその関係をも保証すべきものであるから、黒岩が被控訴人を代理してかかる連帯保証契約を締結したことは、その権限をこえてなした法律行為というべきである。

しかしながら、すでに認定したとおり右連帯保証契約締結に当り、黒岩は、使用の趣旨はともかくとして被控訴人から使用を許諾された右実印と印鑑証明書とを用いているのであり、とくに実印は日常の取引において重要視され、実印の保管者は実印を行使し得べき権限を有するものと考えられるのが通常であるから、本人から実印を預つた代理人がこれを使用して取引した場合には、相手方において代理人がその取引をなすべき権限を有するものと信ずることは当然であるのみならず、右連帯保証契約の締結には印鑑証明書も併せて用いられているほか、前に認定したように本件契約締結の約三箇月前に被控訴人が加入した控訴金庫の定期積金においてもその契約の締結及びその後の掛金払込はすべて黒岩が代理してなしているのである。これらの事情を総合して考えると、控訴金庫において黒岩が被控訴人の代理人として右連帯保証契約を締結する権限を有すると信ずべき正当の理由があるといわなければならない。証拠によると、控訴金庫においては本件契約締結に当り、黒岩の権限につき被控訴人に照会する措置をとらなかつたことが認められるけれども、以上の諸事情のもとにおいては、控訴金庫にそのような措置までとるべき注意義務が要求されるわけでないと解するのが相当であるから、控訴金庫が右の点につき被控訴人に照会しなかつた点は、右判断に影響を与える資料とはなりえない。そうすると被控訴人は、黒岩が被控訴人の代理人としてなした右連帯保証契約につきその責に任ずべきものであつて、前記継続的手形取引契約に基き同人が控訴人に対し負担する債務につき黒岩と連帯して弁済をなすべき責を免れることができない。

そして、証拠によれば、黒岩八十吉は、昭和三十一年八月六日右継続的手形取引契約に基き控訴人から金八十万円の手形貸付を受けたが、一旦これを弁済した後、昭和三十三年一月三十一日右契約に基き同年二月二十三日を満期とする控訴人主張の約束手形により金百六十万円の手形貸付を受け、右手形の満期日を弁済期とする同金額の消費貸借が成立したことを認めることができる。そして右契約においては、貸付金につき手形又は貸金債権の何れによつて請求されても借主において異議ない約旨であつたことはすでに認定したところである。

従つて、控訴人は黒岩に対し右貸付金百六十万円から控訴人において黒岩の控訴人に対する定期積金その他の債権との相殺により消滅したことを自認する金六十七万円を控除した元本残額九十三万円及びこれに対する完済までの約定日歩六銭の割合による遅延損害金の支払を求める権利を有することもちろんであつて、また被控訴人は控訴人に対し前記連帯保証契約に基き黒岩の連帯保証人として右金員を支払うべき義務がある。

よつて、その支払を求める控訴人の本訴請求は理由があるから認容すべきであるのに、右請求を棄却した原判決は不当である。

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